先日のイチローズモルトの日誌を見て下さった方から
(お名前出してよいのかわからないので、いちおう伏せます)
『お酒の味の覚え方』のアドバイスをいただきました。(ありがとうございます!)
その方……そですね、ウィスキーなんで、仮名・鳥巣さんといたしましょう。
鳥巣さん曰く、
『マズいのと飲み比べれば、旨いのの、どこが旨いが一発でわかる』
『飲み方はストレート+チェイサー。
んでなければ、トワイスアップ(1:1の水割り氷なし、但し良い水で)』
とのことです。
ちなみに、チェイサーとは「水」のことだそうで。
ストレートでのんで、水をあとから飲んでおいかけさせる、というのがつまり、
「ストレート+チェイサー」なようですね。
ストレート+チェイサーなんかで飲んだら私たおれちゃいそうなので、
とりあえずは 『トワイスアップ』とやらで、
飲んでもいい夜には、アドバイスいただいた方法試してみようかなぁ、とか思いましたのです。
で、上記アドバイスを吟味しながら私、
「どの世界でも、このやり方は通用するかもなぁ」とか不意に思いました。
私には、浮世絵コレクターであったお金持ちの伯父(故人)がいて。
コレクターレベルとしては
1: 美術館に良く所蔵品を貸し出していた
2: 年に何回か遊びにいくそのたびに、
「いい絵を手に入れた」と、新しい絵を見せてくれた。
3: が、伯父が亡くなってしまうと、あっという間に、
本当にあっという間にコレクションが散逸した。
という感じでした。
で、その伯父が良くいってたのが、
「豹くん。真作を、できるだけ良い真作を、可能なかぎりじっくりと見ておきなさい。
そうするだけで、少なくとも出来の悪い贋作は掴まなくなるから」
ということで。
教えていただいた「ウィスキーの味の覚え方」を読み進むうち、
ふと、その記憶と新しい知識とが、私の中でカラン、とトワイスアップされましたのです。
「真作を見る」と「良い酒を呑む」とは、同じことです。
「出来の悪い贋作」と「マズい酒」とも、似たようなものでしょう。
意識してみること。
意識してのむこと。
良いものに触れ、良いものの良い点を知ること。
マズイものに触れ、マズイもののマズイ点を知ること。
これがつまりは「目の、舌、感覚の、恐らく唯一の鍛え方」で。
それを鍛えていない状態での、
「良い、悪い」は、完全にひとりよがりの、
個人レベルの好き・嫌いにすぎないのではないかなぁ、と、私、感じましたのです。
むろん、ものっそい安い。誰が見てもへたっぴの、例えばチューリップの絵があって。
でも、その絵を見て幸せになる人がいるなら、その絵はいい絵で。
幸せになる人とその絵との関係性に第三者が関与するのは、ウルトラ野暮なことであるとも理解します。
ただ、最近の私は、
「物語を作ること」「文章を書くこと」を、一生のなりわいにしていけたらいいなぁ、
と強く思うようになってまいりましたので。
そうあるためには、
『偶然の関係性によって価値を与えられる作品』ではなく、
『より普遍的と思われる価値を持つ作品』を、作れるようになるべきであろうとも考えます。
のでので、
「短編」や「物語」や「シナリオ」においても私は。
『まず読む。出来るだけ良いものを、可能なかぎりじっくりと読む』
ということを、本年は改めて意識し、積極的に行っていきたく感じました。
で、その短編の、書く方での練習のための企画である、

『合同短編練習企画 短編十二ヶ月』
の二月期の私の作品は、
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で、二稿フィニッシュいたしました。
この稿で、ほぼ完成かと思うので、
しっくりとくるタイトルが思いついたら、最終的な見直しをし、
で、OKと感じたら提出 (発表までの間、改稿を禁止する)といたしたく予定しております!
でもって、夢路の方も、
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「夢路固有シナリオ1箱めの<3235行>から<3304行>まで、
ならびに同2箱目の <1行>から<113行>まで
の、リライト&それに伴っての基礎スクリプトの打ち直し」
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という、堅調な進捗得ましたことも、あわせ喜んでご報告申し上げます。
確定申告周りにも今日か明日から本格的に取り組まねばなりませんのですが――
とにもかくにも、焦らず急いで丁寧に! 手と心と頭戸を動かしまして、
各種 作劇、執筆、制作と重ねていきたく存じます!
今日もいちにちがんばります!
そして、みなさまの本日がたくさんの笑顔と安心と安全とあたたかさとにも満ちたものとなられますよう、願います。
お互い、より良い今日をすごしましょーです!