おはようございます!
ちょっと前から私が「枕草子」の勉強をはじめたことは、
本日誌をチェックくださっているみなさまにおかれましては、
既にご存じいただけていることかと存じます。
で。
私が同勉強を開始いたしましたのは――
1:<齢千年を数える、というような類のロリばばあを出すことがあったとき、
その口調等で戸惑わずにすむように>
2:<古文の勉強を通じ、日本語文法をも勉強するため>
――という大きく二つの動機によってのことでございました。
枕草子はエッセイであるため、「作劇云々」についての学習効果を得ることについては、
全く期待しておりませんでしたのです。
しかし、先日
「六 大進生昌が家に」を読み進めておりますと、こんな感じの会話がございました。
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(清少納言は、生昌さんの家の門がせまくて車が横付けできなかったことにおかんむり。
中宮様にそのことをぶうぶういっていると、ちょうど生昌さんがやってきた)
清 「生昌様ほどのおかたが、どうしてこんなに門をせまく造ってらっしゃるの?」
生 「家と身分の程度をあわせてるだけですよ」
清 「だけど、門だけを高く作ってる人もいるって聞きますよ」
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→ここまで読んだとき、私は
「清少納言ともあろうものがバカなことを言うなぁ」
と感じてしまったのです。
ところが、次の生昌の台詞が
「これは! なんと、于公の故事ですか。
たまたまこの道に入っていましたから理解できましたが……
いや、勉強をしてなきゃわからないところでした」
ってなもんで。
私は、自分の不明を恥じいるとともに「おお!」と、「これは使える!」と思いましたのです。
インテリキャラがインテリであることを、これほど見事に描写する方法は、
そうはないのではないか、と感じます。
もっとも「こういう自分エピソードをさっくり書いちゃう」清少納言・諾子さまが、
のちに紫式部・香子ちゃんに
「清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 」
(清少納言こそ したり顔をしてぶいぶい言わせちゃってる人)
と悪口言われちゃったりするのも、納得いっちゃうようにも感じますのですけれども。
そんなこんなで、「なにごともやってりゃ勉強になるなぁ」とつくづく思いつつの先日の進捗は、
<夢路>
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+ 夢路シナリオ「ロージィ固有1箱目」の
“358 → 406行”
までを執筆し。
ここでアイキャッチとし、次の箱に入ろうかどうか考えております。
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< 短編十二ヶ月関連>
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+ キャラ、背景設定を整えて、
補強エピソードをちょろっと考えました。
書き始められそうな感じになってきたので、
今日明日から書き始めようかと思っております。
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<枕草子の勉強>
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+「六 大進生昌が家に」 (の続き)
http://hexaquarker.com/gakushuu_makurano.txt
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――というものとなりましたこと、謹んでご報告申し上げます。
ともかくも、焦らず急いで丁寧に手と心と頭とを動かしまして、
各種 作劇、執筆、制作と重ねていきたく存じます!
今日も一日がんばります!
そして、みなさまの本日がたくさんの笑顔と安心と安全と暖かさとに満ちたものとなられますこと、願います。
お互い、より良い今日をすごしましょーです!