2012年04月17日

短編十二ヶ月 四月期、全作品公開いたしました! & 深養父じいちゃんについて

 おはようございます!

 というわけで、私のチェックが遅れてしまいました影響で(すみません)
ご公開がおくれてしまいましたラスト1作品の方も先日中に無事お受け取りさせていただき、



『合同短編練習企画 短編十二ヶ月』


四月期も、無事! 全作品そろっての公開となりましたこと、
喜んでご報告申し上げます!


 で、私も、私以外の参加者さんの御作品ざらっとですが、拝読させていただきまして、

『発表媒体にあわせた読みやすさ』

に対する意識が、ものすごく高まってるな!!

ということ、全体の印象として感じましたです。


 この「発表媒体にあわせた読みやすさ」というのは、
“原稿用紙にだけ書いている”と、
案外、意識しないポイントであるように個人的には感じています。



 たとえば、メッセージウィンドウにメッセージを表示する形式のノベルゲームであれば、

【33文字×2行までしか、一度には表示されない】

みたいな制限が、どうしても出てきます。


 それを無視して

「原稿用紙のルールで、普段と同じに文章を書く」

ということをやってしまうと

「読んでくださる方にはものすごく読みづらく、把握しづらく、
 “メッセージ枠の存在”をウザったいものとして意識させてしまい、
 結果、物語への没入度をさげてしまう」

ということとなってしまうのではないかと思われます。


 逆にいえば、

「メッセージ枠によってかかってくる文字数等の制限を
 上手に活かした文章を作ることができれば、
『メッセージ枠の存在をほとんど感じさせない』で、
 読む方にお読みいただけ、物語により没入していただける」のではないかなぁ、と。


 ので、

「その枠内(=発表媒体の形式内)で、
 最も読みやすくなるようにと心がけた文章を書く」

というスキルを身につけておくことは、

「書いたお話を読んでいただくため」に、とても有利な要素となるかと存じます。



 どんなに面白いお話でも
「読みづらい」と思われてしまえば、恐らく、
“その面白さが伝わる”まえに、打ち捨てられてしまうでしょうから。



 のでので。

 「あ! 全体的にグっと読みやすくなってる!!」

 「ってか、 『読まれ方に対する意識』が目に見える形で表現されてきてる!」

と感じましたことは、私にとっては、

 「ああ、この企画を初めてよかった!」

としみじみ思わせていただける、大変に大きな喜びとなりました。



 が

 「自分のことだけは自分ではわからない」ので、

「私が、どこかワンポイントでも成長できてる」かどうか、

まだ、確たる実感を得るには至れておりません。

 
 のでので、12ヶ月おわったときには、

「自分自身の成長をはっきりと確信できている」ようになれればいいな、とか、
そこからつらつらと思ったりもいたしました。



 で。
 そんなこんなも思いつつの先日の各種制作進捗は、


――――――――――――――――


 <夢路>


+ 夢路シナリオ「ロージィ固有2箱目」の

“855→967行”

の執筆とリライトとを行いました。

 ――――――――――――――――


< 短編十二ヶ月関連>

+ 上記の通り、リライト担当作品につきましても素読させていただきました。

  本日中に今度はしっかり読みこんで、「リライト方針」を立て始めたく存じます!


――――――――――――――――

<枕草子の勉強>

+「八 正月一日、三月三日は」 (を全部)

http://hexaquarker.com/gakushuu_makurano.txt

―――――――――――――――


――というものとなりましたこと、謹んでご報告申し上げます。


 総じて、まぁ、良い感じにもろもろ進めていけているのではないか、と感じております。


 あと、「枕草子の勉強」の中、わからないことや気になることが出てきた場合、
当然に関連のあれこれをあたっていたのですが、そうしていたら、
“清少納言の曽祖父にあたる、清原深養父(きよはらのふかやぶ)”さんに、


 <冬ながら 空より花の散り来るは 雲のあなたは 春にやあるらむ>


という歌があることを知りました。

 
 これは――

 <冬だというのに、空から花が舞い散ってくる。雲の向こうは、きっともう春なんだ>

――というほどの意味で。

 つまりは“雪”を詠った歌です。


 雪を見て

 「ああ、花が散っている」

 「雲の向こうは、きっと春なんだ」

と思う感性はものすごくファンタジック――というか、それを通り越してメルヒェンチックで。

 その感覚をあらわすことばも、やわらかで洗練されていて。


 私はそれに触れ、

「とてもいいなぁ」

としみじみと感じいりました。


 で。 

「諾子さま(清少納言)といい、元輔パパといい、深養父じいちゃんといい、
 そのことごとくの作品がピンとくるということは、
『清原一族の言葉の使い方が私は好き』なのだ」

という風に、そこからつらつら思ったりもいたしました。


 ので、今後の「枕草子の勉強」においては、

1:「清少納言の言葉の使い方の、“良いな”と感じた部分をピックアップしてみる」

2:「そのニュアンスを、自分の文章にももりこめるように頑張る」

という点にも、意識を注いでいくようにこころがけたく存じます!



 と、本日のご報告は以上までとなります。

 
 ともかくも、今日も今日とて焦らず急いで丁寧に手と心と頭とを動かしまして、
各種 作劇、制作、執筆と重ねていきたく存じます。

 今日もいちにちがんばります!

 そして、みなさまの本日がたくさんの笑顔と安心と安全とあたたかさとに満ちたものとなられますこと、願います。


 おたがい、より良い今日をすごしましょーです!
posted by 進行豹 at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 製作日誌