2012年05月10日

「物語=(問題文+解法+解答)」 と、「18日までバタつきます」


 おはようございます!


 先日、

 私が、企画・シナリオで参加させていただきました、

Lose オフィシャルWebサイトLose様の最新作、

ものべの - すみ
『ものべの』
  

への、私あての御感想を、さらに一通頂戴することができました。

 ありがとうございます!



 で、そちら拝読させていただき、
ご満足いただけた点については喜び胸をなでおろし、
スッキリしなかったとご指摘いただいた部分については、深く考え改善点を検討し――

などとしておりましたところ。

 私は「あ」、と、気付きを得たように感じました。


 それは――

“物語とは、問題文である”という風に考えると、
 結構、あれこれの要素を、(私的には)整理しやすくなるのかも”

――というようなニュアンスの、気付きです。

 
 「ものべの」あてに頂戴したご感想が考察のきっかけとはなりましたが、
それがどうとか、あるいは「錬電」がどうとかの具体論ではなく。

 あくまで一般論として、以下、
その気付きを自分内部で整理するため、つらつらと書き連ねてみたりいたします。


――――――――――――――――


<1:物語は“事件”という問題文と、
  “主人公の行動”という計算式との組み合わせとによって組み立てられる>

 → たとえば、アパート住まいの主人公を置きます。

   彼がのんびりカップラーメンなどすすっていると、
  隣室から尋常ではない量の黒い煙が流れ込んできます。

  ――これが「事件」=「問題文」です。
  
   
   で。主人公は、それに対し、さまざまな行動を取ることが出来ます。

 
   仮に、選択肢形式をとってみると

   >火事だ! すぐ避難して消防車を呼ぶぜ
   >火事か!? お隣さんのドアをノックしてみるぜ
   >のびちまう! 全てはラーメンを喰い終わってからだ

 ・・・とか、そんな感じに。

   選択肢形式であれば、そのどれかを選択することで。
   そうではない、一本道の物語であれば、強制的に。

   物語の読み手さんは「主人公が選んだ計算式と、その検算」とに
  付き合っていくことになります。
  
   
   シンプルな物語はもちろんのこと。
 
   複雑に見える物語も、
  この「問題文」と「計算式」を複数組み合わせたり。
 
   あるいは、「この計算式じゃとけない! 他に解法はないか?」という
  思考錯誤を重ねたりによって、ほとんど全てが構成されているのではないかと、
  現時点での私は考えます。



<2:結末は、すなわち「解答」> 

  →事件という問題文を、行動という計算式で突きつめて行くと、
  やがて結末。 

   つまりは、「その計算式で計算をしてみての解答」が導きだされます。

   この回答が、主人公にとって望ましいものであればそれは
   「主人公にとっての正答(≒ハッピーエンド)」になり。
   
   望ましくない結論を導いてしまうものれあれば当然に、
   「主人公にとっての誤答(≒バッドエンド)」となります。



<3:解法と解答との繋がりが悪いと、それは「ご都合主義」になる。
   解法と解答との繋がりが見えにくい場合にも、「ご都合主義」と読まれてしまう>

  →  小説であれば、主人公の向こう側には読者さん。
    ゲームであれば、主人公の向こう側にはプレイヤーさんがいるわけです。

    たとえば、主人公の行動が

   「カップラーメンを食べ続けた」


   であり、そこから導かれた結末が

   「カップラーメンの精霊(金髪ロリ)が、
    主人公のカップめん愛に感動し、嫁になってくれた。
    アパートは全焼。隣人は亡くなってしまったものの、
    主人公は無傷でぴんぴんしていて、火災の見舞金で
    より大きなアパートに引っ越し、
    カップラーメンの精霊(金髪ロリ)とラブラブHの日々を送ることになる」

   であった場合。


    “何故、カップラーメンを食べ続けたことで、
     カップラーメンの精霊(金髪ロリ)を現れたのか”

    “何故、カップめん愛に感動することと、嫁になることが直結するのか”

    “何故、主人公は無傷でぴんぴんしているのか”

   
  ――等の疑問を、お読み下さった方が抱かれることは、容易に予想されます。


    これに対し

   「ご納得いただけるだけの説得力をもった因果関係」がそもそも存在しないと、
  そのお話は「ご都合主義」との烙印を押されることになるかと存じます。

   で、「御納得いただけるだけの説得力をもった因果関係」が存在すると
  書き手が確信していても――
   
  3-A 「それが読んでくださる方に伝わるかたちで明記されていない場合」

  ないし

  3-B 「明記されてはいるが、どうにも伝わりりづらい場合」

――などには「ご都合主義の烙印を押されて止むなし」ということに、
やはりなってしまうかと存じます。


  ので、

 <導かれた結論が、主人公にとって良いものであれ、悪い物であれ。
 “計算式と解答との繋がり”がはっきりとした形で明示されることは、
  読んで下さる方に“納得”していただくためには必須>

 であるのではないかと、私は考えております次第です。




<4:読んでくださる方にとっての「正答」と、
   主人公にとっても「正答」の一致度が高いものが、
   おそらく、いわゆる“大団円”>

  →上記「カップラーメンの精霊(金髪ロリ)とのラブいちゃエンド」ふが
 「読み手さんにとってのハッピーエンド」であるのかどうかは、
  書き手には絶対にわかりません。

   『つじつまはまるであってないが、
   金髪ロリとラブいちゃになれるのだから文句はないぜ!』

  とお読み下さった方もいらっしゃれば、

  
   『理路整然として、実にきっちり折りたたまれている物語ですね。
    しかし、尊敬できる隣人を失ってしまった挙句、
    陰毛も生えていない、しかも無乳の少女に捕獲されてしまうとは・・・悪夢です』

  とお感じになられる読み手さんもいらっしゃるのではないかと思われます。

   そこは、書き手には絶対にコントロールできない部分です。


   ただ、書き手は
    
   「主人公が、その解答をどうとらえているか」

   を書くことは出来ます。


   そして、

  (その解答が、読み手さんにとってものハッピーエンドを書き手が
   基本的には知り得ないことと同様に)

  「その解答が主人公にとってのハッピーエンドであったのかどうか」 
   も、“書き手が明記しないかぎり、読んでくださる方には絶対にわからない”のです。



  「主人公が、その解答をどう受け止めているかをわかりやすく書く」ことを行えば、

  「主人公とハッピーエンド感が一致する読み手さんには、
   よりいっそうの“大団円感”を味わっていただけ」

  「そうではない場合にも、それなりの“納得感”を、
   (まるで描写がないときよりは)味わっていただける」

  ――のではないかと、今現在の私は類推しております。


   ので、よほどの事情でも無い限り、

  「主人公にとって、迎えた結末はどのような味わいのものであるのか」

  をわかりやすく明記することは、
 物語の仕上げとしてとても有意なことであろう――と、今現在の私は感じております。



――――――――――――――――


 ・・・とか、まぁ、その辺のことも、やはり
 「わかっているつもりではあったが、きっちり整頓できていないこと」
 であったかのように思います。

  ので、以降の私は――


1: 「“問題と計算式と回答との繋がり”を意識する。

    その繋がりを明示するときには、
    <出来うる限りわかりやすい形>で明示するように心がける。
   
    その繋がりを明示しない場合には、
    <明示されないものである>ことを、やはり解りやすく明示するように心がける」


2: いかなる結末を迎えた場合にも、
   「その結末が、主人公にとって 『どう』なのか」につき、
   野暮にならない範囲で極力、明瞭にする。

  
――ということ、今後意識的に、徹底していきたく存じます!


 良い(と現時点の私はハッキリと思っております)
 考察のきっかけとなる御感想、本当にありがとうございました!!




 で。
 
 そんなこんなを考えつつの先日の各種進捗は、




―――――――――――

 <夢路>

+ 夢路シナリオ「ロージィ固有2箱目」の、現在リライト完了行数は<1433>です。

 「お話の順番の並べ替え」に伴い、重複部分などをバッサリ切り捨てた――
 という感じに現状なっておりまして、

 結果、「理屈っぽい人たちベスト3の会談」が、次の段階へと進みましたこと、
ひとまずは喜んでご報告申し上げます。

 このお三方+理屈っぽくないおひと方の会談は、
 「あと1テーマ」 で、多分強制終了になり、
 次のシーンへ進めるかと思いますので、
 
 できれば、今日こそはそうできますよう、がんばりたいと存じます!


――――――――――――――――


<短編十二ヶ月関連>

+ 書き始め、書き進めました。

 “「こういう種類の会話劇」は簡単にかけるだろう”との自分の予想が
 とんでもなく甘いものであることを思い知りました。

 初稿の執筆満了まで、もう2~3日かかるかと存じます。


――――――――――――――――

<枕草子の勉強>

+「二十 清涼殿の丑寅の隅の」 (の最後まで!)

http://hexaquarker.com/gakushuu_makurano.txt

(一~十)
http://hexaquarker.com/gakushuu_makurano_1_10.txt

―――――――――――――――

――というものとなりましたこと、謹んでご報告申し上げます。

 

 で。
 話はガラリと変わるのですが、私――

「16日の深夜バスで出て、17日にあれこれやって、18日の朝方に戻ってくる」

――というお出かけを行おう、と現在計画しております。


 ので、そこまでの期間は「そのお出かけを極力有意なものとするための準備」に
相応の時間をとることともなります。

 ともなって「あれこれバタバタする」であろうこと、どうぞ、あらかじめ
ご了承、御寛恕たまわれますように、心より御願い申し上げます。


 と、本日の御報告事項は以上までとなります。


 とにもかくにも、焦らず急いで丁寧に手と心と頭とを動かしまして、
各種 作劇、執筆、制作の方、重ねていきたく存じます。

 今日もいちにちがんばります!

 そして、みなさまの本日がたくさんの笑顔と安心と安全と暖かさとに満ちたものとなられますよう、願います。


 お互い、より良い今日を過ごしましょーです!
posted by 進行豹 at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 製作日誌