誰にでも「知りたい」と「伝えたい」があって。
その両者の比率が、
「知りたい>伝えたい」 だと、 『問題文を作る人』。
「伝えたい>知りたい」 だと、 『回答を示す人』。
になるのではないかなぁ、などとぼんやり思いましたのです。
わたくしは、どちらかというと、
『問題文』である物語を組むタイプではないかと、自分では思っております。
(ので、私のお話を好んで読んでくださる方には、
「答えを与えられることよりも、自ら答えを求めることの方がが好き」
・・・という方が多いようにも思っております。
もちろん、単なる印象なので、全くの勘違いであるかもしれませんが)
今まではそれで、なーーーーーんも問題もなくやってこれたわけですが、しかし。
(特に、ボリュームのある物語に関しましては)
『書き手が、自らの問に対しての一回答をきっちり示しきってこそ、
読んでくださる方に、読後の満足感を得ていただける』
――のではないかということも、だんだんと感じるようになってきました。
言い換えますと、
この
<きっちりと示しきられた回答>
こそが、
<ハッピーエンド>
と呼ばれるものではないか――という気づきを、
得始めてきたようにわたくし、思っておりますのです。
重ねてしかし。しかしながら。
わたくしが物語にする(できる)モノというのは多分おそらくほぼ確実に、
『わたくしが、わたくしの中で確たる答えを持っていない疑問。
であるがゆえに、他の方の答えを“知りたい”コトガラ』
であるように思います。
つまるところ、
「わたくしの根源的な作劇欲求が、おそらくは
<その種の“知りたい”>であるがため。
わたくしは、
『 問題提起 → 理想解 → 大カタルシス! 』
・・・という爽快感を得ていただけるお話を書くことが、ほぼ出来ないかもしれない」
という懸念が、ここで発生してきてしまうのです。
ので、錬電最終章・家路、かや姉追加ED群のように、
「これもこれもこれも理想解に思えるから、好きなのをお選びください」
とご提出させていただくのが、今の時点での、私の作劇の
「一番落ち着く、結び方」
であるようにも思えてきてしまいます。
しかし、
「できることしかしないのであれば、継続をする意味がない」
とも強く強く思います。
「完成度の極めて高いハッピーエンドを書き、
『大傑作だ!』とお褒めいただきたい」
というごく単純な欲求もございます。
ので、
(今までも、ある程度は意識せずとはいえやってたと思うのですが)
今後は、意識的に、
「(わたくし=作者にとってではなく)
『その物語の主人公』にとっての理想解が何か。
また、その他の登場人物たちの理想解が何か。
そして、それぞれの理想解が最善に近いカタチでおちつく場所がどこかを、真摯に考える」
――ことを、徹底してやっていくように改めたいと思います。
その
<それぞれの理想解が、最善に近いカタチでおちつく場所>
を示せばそれが、
『読んでくださる方にとってのハッピーエンド』と一致するのかどうかはわかりません。
が。
「やってみて損はないことは確からしい気がする」
ので――
ともかくも、
「そういうことを思ったので、決意表明してみる」
というレベルで、上記、書き記させていただきます次第です。
で。
このようなことを考える直接のきっかけとなりましたのは、

『合同短編練習企画 短編十二ヶ月』
九月期作品あてに頂戴した
GoShuさんのご感想 (あらためまして、ありがとうございます!)
で。
頂戴したご感想から→新しい疑問を得て→この気づきに得た!
という一点のみでも、多分、(少なくともわたくしにとって)、
「 『短編十二ヶ月』は、ものすごく大きな実りを与えてくれる企画」
であると、断言できるように思います。
そのような <合同短編練習企画>であるところの、短編十二ヶ月。
十一月期お題が、
<橋の上> / お題提供:山田沙紀
(* 「橋の上」のシチュエーション縛り。ただし、場面転換・舞台移動も可)
と決定いたしましたこと、ここに、あわせ喜んでご報告申し上げます!!
――と。
ご報告すべき事項につきましては
「ひきつづきまして、鋭意頑張っております!」
ということにつきますので、本日の日誌は以上までとさせていただきたく存じます。
とにもかくにも焦らず急いで丁寧に手と心と頭とを動かしまして、
各種 作劇、執筆、製作と重ねていきたく存じます。
今日もいちにちがんばります!
そして、みなさまの本日がたくさんの笑顔と安心と安全とあたたかさとに満ちたものとなられますよう、願います。
お互い、よりよい今日をすごしましょーです!