2014年09月09日

「人が居ました」「犬が居ました」からお話を初めてください。

 おはようございます。 

「自分が書いたお話を、より多くの方に読んでいただきたい」
との欲求が最近ちょっと深まりつつあり、
そのためのあれこれについてなど、ぼちぼち考え始めております。

 より具体的には、

『 「1+1=2」でお話を導入してしまうと、
  「面白そう」と感じていただきづらくなってしまうのではないか 』

ということについて、結構考えを深めているような感じです。


 「人が居ました」 を1

 「犬が居ました」 を1

とすると、

「人と犬とは、散歩に出かけました」

で、句点。

 とやってしまうようなのが 「1+1=2の導入」であるように、
本日本刻の時点でのわたくしは考えております。

 「犬が引綱を噛み引くと、首輪の痛みを嫌って人は、とぼとぼと犬に従います」

 とか

 「人と犬とは小舟の中におりました。
  人と犬とは飢えていました。
  漂流はもう一週間にもおよび、けれど陸地の影すら未だ見えません」

 とかやると、その導入は少なくとも「=2」からは、はずれてくるのではないなあ、
ともまた、考えております。


 カツカツに飢えた人と犬とが、小舟に揺られ漂流している。

 この導入であれば、お話の続きがどうなるのか、単純にわたくしは気になりますし、
続き、どうやって書いていこうか、どんな結末に落ち着けようか、
勝手に想像がふくらんでいくような気持ちも感じております。


 もちろん、そのような飛び道具的な舞台設定を使わず。
 人と犬とが散歩に行く、という舞台設定を動かさない場合においても、

「人が居ました。
 犬が居ました。
 散歩にいこうといつもの戸棚を開いてみると、
 そこには引綱が見当たらず、代わりのように、一枚のメモがありました」

とでも、

「人が居ました。
 犬が居ました。
 散歩に一歩踏み出したまさにその路上、
 一人の少女が熱心に、ろう石で何かをお絵描きしています」

とでも、いかようにでも工夫は出来ます。
 
  
 つまるとこ、本日本刻のわたくしは、

『導入は、読んでいただける可能性が一番高いとこなので、そこであっさり、
「“ああ、こういう”と予測されてしまうような書き方」
をするのは損のような気がする』
 
と、思っております感じなのです。
 

 "Don't Start at Starting." (時系列最初のシーンから書き始めるな)
という作劇の格言がありますが、これも、導入がいかに重要か――
ということを端的に示してくれている言葉であるかとも思います。
 

 そうした「ツカミの重要性」は、「お話全体」という大枠においてのみならず、
シーンひとつひとつ、エピソードひとつひとつにおいても同じことだと思います。

 ので、その辺を意識しなおし、

「特に重要な部分においては、
『導入で「お」と思っていただけるよう工夫する」こと、
改めてこころがけていこうと思っております。


 無論、全部のシーン、全エピソードの書き出しでそれをやってしまうと、
「力みまくってるなぁ」
となってしまい、まったく効果が出てこないようにも思いますので。

 「すんなりと流すべきところは、すんなりと入る」
 「引っかかって欲しいところでは、それなりの工夫をする」

と、メリハリきっちりつけることもまた、心がけたく思っております。


 とかとか。

 ぼんやり思っておりましたことを書き出して整理整頓したりいたしつつ、
わたくしは  【新作 : シナリオ】 の方を、
着々と書き進んでおりますこと、あわせご報告させていただきます。


 本日の日誌は以上です。


 お互いに、よりよい今日をすごしましょーです!
posted by 進行豹 at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 製作日誌