『持ち時間のほとんどを、作詞と制作進行』とに、つぎ込んでおりました。
で、それが完了いたしましたのが23:00ころでしたので、
それから少し休憩をして――
バナーを作って、
ほんの少しの演出スクリプトを行いましたら
もう0:00を迎えておりましたので、今はこうして、制作日誌を書いております。
ので、本日の進捗については以上で全てとなりますのですが――
「何故、そのように作詞を苦戦していたのか」
につきまして、いささかのご説明を させていただきたく存じます。
それは、今回の作詞に尽きまして――
1:『大人っぽい歌詞にしたい』
2:『出来るだけ、普段の言葉で歌詞を組みたい』
――と、私。“自分に縛りをかけてみたから”、なのです。
うち、「1」の大人っぽい歌詞うんぬんにつきましては、
“曲調と、その曲の使われ方”とから、必然的に出てきます縛りです。
で、「2」の『普段の言葉』というのはつまるとこ、
「話していたり、こういうところで書いたりするような言葉」
ということでございます。
“歌詞”となると、私は今まで
「なんとなく、そういう風な方が歌詞っぽいかなぁ」という理由で、
普段使いは決してしない 「ディスティニー」とか 「アイロニー」とかそういう言葉を、
選んで→実装させていただいておりました。
しかし、ここ一カ月ほどのアレコレの中で
『歌詞は、おそらく、
【上手に組むことさえ出来たのなら、“普段づかいの言葉”で構成したほうが、強く印象に残る】』
――のではないかと、思い至るようになったのです。
ので、「普段使いの言葉で大人っぽい歌詞を構成しよう」
と試みましたのですけれど――
これがもう、全然うまくいかないのです。
私に、人生経験と詩心とが十二分にございましたのならばあるいは
「愛をつぐなえば 別れになるけど」
とか
「指輪ははずして来て まぶしくて胸が痛い」
とか、そういう『どろっとした感じが一瞬で伝わる』ような言葉を上手に見つけることが出来ますかもしれませんのですが。
あいにくとそのような経験の持ち合わせはございません。
ので、
“大人っぽさを醸し出せそうな言葉”を半ば手探りで、
探して、積んで、削ってを繰り返してはみたのですが――
そのあげく、
『探しても探しても探しても探しても
積んでも積んでも積んでも積んでも
削っても削っても削っても削っても
“言葉が、うわすべりして、詞にまとまらない”』
みたいな状態に、完全に陥ってしまいましたのです。
で。
「あ、これは泥沼だ」
と自覚いたしました私は、
自転車をこいで図書館へと向かいました。
そしてすぐさま、
“よくわかる! 作詞入門”みたいな本を探し求めて
蔵書検索かけてみましたのですが・・・
あいにくと、これが貸し出し中です。
しかし、貸し出し中であるという事実は、逆から見れば、
『私と同じ町に、作詞にこれからチャレンジしよう! との
希望に胸をふるわせる、【むっつり+積極性】という
凶悪なスキルセットをもった少女が暮らしている』
という事実をあぶりだすものでもございますので、
私、てきめんにモチベーションを取り戻しました。
(作詞の先輩になっておけば、その凶悪なスキルセットの矛先が
私に向けられる確率を “+10%” 出来るのでは!?)
と、素早く計算いたしましたからです。
がしかし、「素敵な作詞のセンパイ」になるために、私には入門書が必要でございます。
けれど、入門書は 「かわいい後輩」の手にあります。
・・・この二律背反を突破するためには、発想の転換が必要となりました。
ので、私は懸命に頭をひねりまして、
その結果、
『わかりやすそうな現代詩の本を借りて行こう』
と、決意をするにいたりましたのです。
で。
『どうせなら、英語の詩も拾える方がいいかも』とも思いましたので、
【日本の名詩、英語でおどる】 (アーサー・ビナード:みずす書房)
という本をお借りさせていただきました。
と!
これが――
「わりと、かなり、すごく、あたり」 だったのでございます!
“普段使いの言葉で、いろんなことを書いて、詩になっている”
みたいな作品群がわらわらわらわら乗っておりましたのです!!
一つだけ、短い例を抜粋してあげさせていただきますと、
岩田宏さんという詩人さんの
『動物の受難』という、
「動物園の動物の最後をモチーフとした詩」では
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さよなら よごれた水と藁束
たべて 甘えて とじこめられて
それがわたしのくらしだった
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という感じに、言葉を選んで、束ねて、
詩にしてらっしゃいまして。
(注1:上記の詩の全文は、こちらのページ様などでお読みいただけます)
(注2:作者の岩田宏さんは、『小笠原豊樹』さん名義で翻訳のお仕事もされてらしたとのことで。
なんとブラッドベリの“火星年代記”の役者さんでらっしゃいますそうなのです!
「ひとときはオハイオ州の冬だった」というウルトラ綺麗で詩的な翻訳は、
本職の詩人の方の手によるものだったのか、と私 本日初めて知って、
それでまた、テンションあがりもいたしましたのです!!)
で、そうした詩たちが
もう、本当に単純に
「すげぇ!!!!」
って感じに、私の目からうろこをぼろぼろ落としてくださいましたのです!
ので 私、
そういった詩を、読んで、声に出し、タイピングして――
そうするうちに、なんとなく
『力み』みたいのを、消せ始めたように、思えましたのです。
で、その機を逃さず、
再びにお預かりしていたメロディーを聞き、
言葉を選んで積んで削って――
そうしてなんとかようやっと、
『大人っぽくて、普段の言葉で編んだ詩』
を、私……自分としては産み出せたように、思えるようになりましたのです。
その詩を、
(そのまま、にせよ、ここからさらにブラッシュアップをかけることになるにせよ)
皆様にお披露目出来るの恐らくは、
『最終章本篇リリース』のときということに、
どうしてもなってしまいそうですので――
出来るだけ早く、
その詞を皆様にもお披露目させていただけますように!
とにもかくにも引き続き、制作もろもろ、頑張っていきたく存じます!!
でもって、そんなこんなとは関係なしに、
コツコツ作る本日のバナー の方は、

[re_turnをローズマリーは望むのか?]
という感じのバナーとさせていただきましたこと、
本日の結びとして、ご報告させていただきます!!