おはようございます。
まずは、“夢路”の制作進捗についてご報告申し上げます。
――――――――――――――
【シナリオ】
+ “まなロージィ固有共通・一箱目”の
1811→ 1920行
の、リライトと基礎スクリプトとを完了しました。
【制作進行】
+ 特段、ご報告すべき事項等は発生しなかったかと存じます。
【その他】
+ できることを、地道にやっております。
――――――――――――――――
という感じです。
で。
ご報告いたしましたとおり、昨日の進捗は残念ながら、目覚ましいものとはなりませんでした。(すみません)
いくつかあるその理由のうち、最大のものは「読書」でした。
古書店から郵送で届きました 『文士と文壇』(大久保房男/講談社) が、
あまりにも面白かったからです。
私、 『乱調文学大事典』(筒井康孝/講談社)で紹介されていたイメージから、
『文士と文壇』は「作家の〆切遅延言い訳集」だと思いこみ、
それは単純に面白そうなので読んでみたい、と感じ、同書を購入いたしました。
で、実際の 『文士と文壇』は、残念ながら「作家の〆切遅延言い訳集」ではなかったのですが――
しかし「予想以上に面白い」一冊であったのです。
『文士と文壇』を書かれた大久保房男氏は、 『群像』の編集部で二十年間移動なしに
編集者→編集長を勤められた、という方で。
その大久保さんが、編集者の視点から、「文士と文壇」を見続けてきて
経験したエピソード等々を、エッセイ形式で紹介している――というのが、
実際の 『文士と文壇』の内容です。
私は、文士にも文壇にも今までほとんど興味がなく。
「それ故」かもしれないのですが、例えば――
“明治作家”“大正作家”“昭和作家”というカテゴライズが存在したということがもう、
なんだか目新しく新鮮で。
そうしたカテゴライズが存在した(≒意味を持って機能した)理由を考えたとき、
「作家の年代により、どの戦争とどのように関わったかが大きく左右され」
「それにより、確かに、“年代ごとの作風”というものが存在した」ためなのかも
しれない、とか思いあたり。
ならば、“文壇華やかなりし時代”には、今、我々が考えるレベルの「体験や思想の違い」
よりももっと激烈な、「体験や思想の違い」を持った人々が入り乱れ、
それぞれの作品を武器に思想をぶつけあっていたのだから――
それはもう、本当に面白い空間であったのだろうなぁ、などと夢想いたしました。
で、実際。
『文士と文壇』で紹介されているエピソードは、どれもこれも面白いのです。
“難解ホークス”と呼ばれ、重厚難解なものしか書けず、
当然につねに生活に困窮してい埴谷雄高は、
戦時中には経済誌の記者をしていたので、
「日本は戦争に負ける。戦争に負けたらドイツのようなすごいインフレになる」
と正確に予見し。
予見していながら何らの利殖行為を行わず、戦後もやはり貧乏をしていたこと。
学生時代の遠藤周作は、先輩作家に「文学をやる資格はない」と
軽口をたたかれただけでハラハラと落涙してしまう、極めて純情な文学青年であったこと。
四百字づめ一枚につき、明治作家は百円で、大正作家が七十円、昭和作家が五十円、
新人二十円という原稿料の基準があり、
その当時のトンカツは五人前で七百円(ので、恐らく一人前は百四十円)であったこと。
「梅干しをつけずに頑張ったんだが」(原稿は間にわなかった)との名言を残した
尾崎一雄氏は、その前年には
「梅干しをつけなきゃならないんで、それまでに終えるつもりが予定が狂った」(ので、〆切を伸ばしてほしい)
というという依頼をしていたのだということ。
――ほんの一部をつまんだだけでも、このように密度あるエピソードが満載されておりまして。
その全てを(ざっとですが)読み終えたとき、私は、
「作家というのは、本当に〆切を守らないものなのだ」
とつくづくと感じ。そして、
「文士というのは、“小説が芸術である”と確信していた人々なのだなぁ」とも感じました。
芸術の定義もいろいろでしょうが、
多分、文士たる人々は、百年先でも千年先でも、自分の書いた小説が読まれ続け、
輝きを放ち続けることを信じていたからこそ、困窮にも批判にも惑わされず、
ただ書き続けることが出来たのではないなぁ、と、私は読んでいて感じましたのです。
「だからどう」というところまで、私の思考は現時点では至ってないのですが――
とにもかくにも非常に面白く、また感じるところも多かった本ですので、
“物を書く”人には、間違いなくオススメできる一冊ではないかと思います。
絶版で、古書の数もあまり出回っていなさそうな本ではありますが、
プレミアとかがついているとかでもないみたいですので、
もしご興味を持ってくださった方が見つけられたその暁には、
是非是非、お手にとっての御一読なさってみてくださいましです!
まぁ、そんなこんなで私、「感じるところがございました」ので。
その「感じるところ」について深くじっくりと考えつつ、
焦らず急いで丁寧に手と心と頭とを動かしまして、
各種 作劇、執筆、制作と重ねて行きたく存じております。
今日も一日がんばります。
そして、みなさまの本日がたくさんの笑顔と安心と安全とあたたかさとに満ちたものとなられますこと、願います。
おたがい、より良い今日をすごしましょーです!
2011年09月14日
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